これからのblueover #02 | 民藝で得たこと

民藝に見た価値

さて国内生産の現状とこれからについて書いてきたが、つぎはブルーオーバーが影響を受けている民藝について話してみようと思う。民藝に関しての僕の考え方などや、それにどう影響されたのかというのはブルーオーバーサイトのアバウトや深堀コンテンツに記載しているので、そちらをみていただきたい。

さて、この二年、僕は改めて民藝に関して学んだのだが、別アプローチでも刺激を受けたものがある。株式会社cotenの配信する「コテンラジオ」という音声メディアだ。友人からの勧めで拝聴させていただいたのだが、このコンテンツにすっかりはまってしまった。コテンラジオは、これまで自分を形成してきた考え方を、離れたところから認識できるキッカケを与えてくれた。

コテンラジオはここ数年で話題になった人気のコンテンツで、歴史というとてつもなく長く深い内容を、民族、宗教、人物、出来事などに区切って紹介するコンテンツだ。解説の深井さんの語り口調がとても平易で聞きとりやすく、ゆるめの番組の空気感もあいまって、ついついはまってしまった。そしてある程度聞いていくと、長い歴史を俯瞰した視点で認識することができるようになった(これがめちゃ大事だったとおもう)。

ちょうどパズルを作っていくような感覚で一つ一つのピース(出来事)をはめ込んでいくと、やがて全体像(歴史)が見えていく感じに近い。それは歴史が常に相関しながら作られていくことの認識がより鮮明になり、これまで史実に対して断片的な理解によって生まれる偏見から解放してくれることが、このコンテンツの大きな魅力であると個人的には認識している。

そうした観点を学び、改めて自分のブランドの考え方を見直したとき、民藝という思想についてもこれまでとは異なる見方で整理をすることができた。僕の民藝に対する理解は若いうちは物質的な外観、道具が生まれる行為、背景によるものとして認識し、そこに文脈を見出すという、常に理由を求め理解する見方しかできなかった。それは柳宗悦氏がいう民藝の定義に対して、点でしか理解ができなかった自分がいたのだと今は思う。

だけど、宗教の歴史、仏教史を広く確認することで、これまでと違った民藝が僕の前に現れた。

僕の興味の対象は民藝でもあるが、一方で仏教も自分自身の生き方に大きく影響を与えている。だが、それらのつながりはお互いに点でしかなく、そこに線としての結びつきの自覚はなかった。だが、学びを重ねるうちに柳宗悦氏の仏教的側面からの民藝観というものが、うっすらではあるがわかったような気がした。それは氏の提言している無心の美に対する理解につながった(真意を突き止めるまではいかないけれど)。

無心の美

民藝の中に潜む仏教的観念を見出した柳氏の無心の美に関して、個人的解釈を述べたいと思う。

産地から生み出される民藝は、そこに働く人にとっての生活の一部であり、毎日同じものを繰り返し生み出し続けている。生み出しているその手は、やがて作り手の作為を離れ、無心の内にそのモノが生まれるという。その無心さは仏教でいう念仏と同義となり、ただ無心となることで救いを得るとう行為に通ずるのだと考える。無心から生まれでるものは救いであり、救いに美しさを見出したという理屈だ(ここで僕が仏教として『救い』を話すのは、まだまだ荷が重いのでこれくらいで勘弁してほしい)。

僕が民藝の魅力について改めて考えたとき、すべてのきっかけは柳宗理氏(柳宗悦氏のご子息)のハードウェアとしてのプロダクトデザインからであった。そこから僕は民藝を知ることになるのだが、その当時僕はデザイナーを職業としていた為、主として合理性(使い勝手や機能性といった言葉で説明がつくことを連想していただければ)からその魅力を紐解こうとしていたが、まったくの見当違いであった。

柳宗理氏の手掛けた製品には、手から生まれたぬくもり(愛着)が感じられ、合理性だけでは片付けられない奥深さ、美しさを体現しているが、当時の僕はそれを合理的に読み取ろうとした過ちを犯していた。それはまったくもって無知からくる行為であった。宗理氏は造形を生み出すアプローチとして手から生まれ出る造形を大事にしていた。繰り返し動かす手によって生まれ出る姿。そこに近代の工業化を重ねあわせていく。それはまさしく民藝のいうところの無心の美を、宗理氏自らの手によって試作を重ね続け生み出そうという壮大な試みだったのだろうと思える。情けないことに僕は今になってようやくその偉大さに気づくことになる。

さて、そうして仏教的側面からのアプローチによって今までの自分には見えていなかった民藝に気づくことになったのだが、これまで民藝の特性や美についての解釈において、無心の美だけが、うすらとわかったふりをしていた。しかし、仏教史を学ぶことで無心の美に対しての解像度が鮮明になったのは明らかだった。これは僕にとっては大きな気づきだった。そして実は自分が民藝に対して惹かれていた要素はこれまで、用としての側面。つまり機能性や、生み出される背景、その健全さだと理解していたが、実は「無心さ」にも大きく惹かれているのだということが、仏教を学ぶことによって明らかになった。

いずれにせよ、やはり民藝思想は僕にとって大きな影響を受けているのは間違いないらしい。だが、だからと言って民藝品を作ろうとしているのかと問われれば、それは違うとはっきりと言える。うまく説明できるかわからないが、民藝というのは僕は文化思想であり、社会から生まれ出るものだと考えるからだ。もし結果としてブルーオーバーが行っている活動が後々になって民藝だといわれるのであればそういうことになるのかもしれない。

 

 第三回|アウトサイダーアート

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