国産スニーカーブランドblueoverについてのこと。
blueoverをなぜ作ろうと思ったのか。
blueoverはどういう靴なのか。
長くなりますが、blueoverに込められた思いに
少しでも共感いただければ。
これは、blueoverを取り巻く全てのことです。

blueoverのはじまり

ブルーオーバーは大阪で生まれたスニーカーブランドです。私(渡利ヒトシ)はフリーランスとしてプロダクトデザインの仕事を請負う中で、製品開発、消費のサイクルに疑問を持ちはじめていました。さらに、国内の製造工場の衰退を目の当たりにし、2011年に自らの身をそのサイクルに投じることで変化を起こすことは出来ないかと、ブルーオーバーを立ち上げました。

靴づくりの背景

靴という製品は、アッパー、底材、紐、中敷といった多くの資材で構成されており、そのどれもが小規模なマニュファクチュアでの分業体制をとった製造工程をたどります。あとつぎ問題や高齢化、海外でのコスト競争などさまざまな理由から、完全に日本国内のみでスニーカーを生産することは困難となってきていますが、ブルーオーバーはできる限りの資材を国内で調達し、製造を行っています。決して大きな規模感ではありませんが、工場同士の繋がりや地域の結びつきを活かしながら、国内の製造現場を失わないようにしていきたいと考えています。それはなぜか。

私は1980年代後半から2000年まで、まさに日本がモノヅクリ大国と呼ばれていた時代に生まれ育ち、自らも製品のデザインという仕事に携わり様々な工場に足を運んできました、そんなこれまでの日本を支えてくれた製造業に対して恩返しをしようと考えているからです。

民藝運動からの影響

私は仕事(プロダクトデザイン)を行うなかで、一つの運動に影響をうけています。それは柳宗悦氏の提唱する民藝運動です。1900年代前半、工業化による大量生産が始まった時代でした。そして同時に、工芸品は華美で装飾的な存在となり、柳宗悦氏はその背景から、各地の風土や適した環境下のもと、そこに根付いた生活の中に本当の美があるとし、そこで働く名もなき職人たちの手仕事から生まれるモノこそが、衒(てら)いのない「用に即した健全な美」であると示しました。

生活に存在する美。私はこの考えに強く影響をうけ、現代社会においてもその地域に根付く風土、培われた技術を基礎にした設計を施すことが大事であると考え、極力不要なデザインを行わないように心がけています。その健全な美を生み出すことができる職人たち(産地)を絶やさぬことがブルーオーバーの活動でもあります。

用に即したデザイン

それでは、健全な美を宿すモノにブルーオーバーが施すデザインとは何か。もちろん、用に即していることが必然となります。つまりそれは、快適な履き心地であるということです。

例えば、日本人の足型に合わた木型を削る。履けば履くほど足に馴染む素材を選ぶ。足を曲げたときにストレスないように型紙を設計する。走る、ではなく、歩くために最適なソールの硬度を設定する。流行に左右されることなく履き続けられる飽きのこない外観。

次に大切な用は、いつまでも長く履き続けれること。長く愛用していただけるように、丈夫な素材を選び、つま先やカカトの芯材もしっかりとしたものにする。モデルによって、削れにくい底材を採用したり、交換できる製法を用いる。それらは当たり前のようではありますが、簡単には実現できないものでもあります。ブルーオーバーが施すデザインとは、用に即した健全な美の価値観はそのままに、快適に、いつまでも長く履き続けられる靴をデザインすることなのです。

|用とは:快適であること

私は、靴というモノはとても不思議な製品だと思うことがあります。靴は履く人の体を外の世界とつなげ、運ぶ道具です。身体と地面を繋げる境界線を跨ぐ、唯一無二の存在とも言えます。楽しい時も、つらい時も、どんな時も常に時間を共有し、その人のありのままを受け入れます。そんな靴というモノに、私は特別こころ惹かれていました。

私は時折、高校時代に大切に履いていた靴を眺めることがあるのですが、その当時の記憶を思い出すことがあります。記憶とともに蘇る感情は、懐かしさだけではなく、愛情にも似た感情です。履き込まれた靴は、文字通り、苦楽を共にした友のように感じるからでしょうか。ブルーオーバーも、履く人が思い出を重ねていくことができるように、つねに履いていたい思ってもらえる、快適な履き心地をめざして設計しています。

|用とは:長く履けること

履き込まれた靴には、人の油分や、自然にさらされることで生まれる手沢やなれといった味わいがあらわれます。長く履き続けられるように作られた靴というのは、その時間分だけ手入れが行われ、よりたくさんの味わいをまとうことになります。手入れの行き届いた靴を前に、私はそこに豊かさを感じとります。感覚的ではありますが、ものを大切にするということは、そのものだけではなく自分自身にも心地よさ、やすらぎ、あたたかさを与えてくれるのではないでしょうか。ブルーオーバーが長く履き続けられる靴であるということは、履くほどに表情豊かになり、履き続ける人にこころの豊かさを与えてくれるようなものであろうと思えます。

あたりまえで特別なくつ

ブルーオーバーは、用に即した健全な美を持つ靴を目指しています。それを履くことで、その人と靴の関係は、あたりまえでありながらもすこし特別な関係になりえます。地域社会で継承され続けた製靴産業や文化、そこに従事する人達を守り、育てることの一端を担い、自らも健全な美の循環の一部となることを示します。

物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさを享受し、毎日を共にしてゆきます。手入れや修理を重ね、大切に履き続けられることにより、やがてブルーオーバーは「本当の姿」へと生まれかわることを信じています。履く人の時間とともに、自然が作り上げた味わいが深まり、友のような、あたりまえで特別な存在になることでしょう。

ブルーオーバーを履く意味

柳宗悦氏が民衆の生活の中に美を見出したように、現代における私たちの生活の中にも美は気づかれないだけで潜んでいるのではないでしょうか。私はこの靴を履くことの意味はその人の健全なる精神の上に、おだやかであたたかい時間を過ごしていただくためだと考え、その生活こそが美しく豊かな日常になるものだと考えています。

これまでの製靴技術の蓄積とそれらを受け継ぐ人。そして彼等からうまれた靴を履く人へ。ブルーオーバーは、日本でうまれた健全で美しいスニーカーでありたい。そして履く人の時間と共に形づくられ、あなたにとって思い出深く、とても美しい靴となってほしいと願っています。